MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事

TALK EVENT REPORT

「小さな驚きを与え続けること―三宅一生のテキスタイル創り―」

皆川 魔鬼子

皆川 魔鬼子(テキスタイルデザイナー、
株式会社 イッセイ ミヤケ 取締役)

川上典李子

川上典李子(デザイン・ジャーナリスト)

6月4日、「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」の関連イヴェントとして、テキスタイルデザイナーで株式会社 イッセイミヤケ取締役の皆川魔鬼子によるトーク「小さな驚きを与え続けることー三宅一生のテキスタイル創りー」を開催しました。
聞き手は、デザイン・ジャーナリストの川上典李子。トークでは、展覧会で紹介されている作品を中心に、一本の糸から衣服が完成するまでのプロセスが、丁寧に解説されました。驚き、感動、そして喜びをもたらす三宅一生の服づくりとそれを支えるものづくりの現場が、臨場感たっぷりに語られました。
川上:
三宅一生さんの服づくりは「1枚の布」と表現されます。その1枚の布は、1本の糸から始まっています。糸を吟味し、織り方や編み方を検討、テキスタイルの色や柄を構成し、さらにさまざまな要素が加わって服が実現することを、展覧会をご覧になったみなさまも実感されたのではないでしょうか。皆川魔鬼子さんは30年にわたり、イッセイミヤケ パリコレクションのための服づくりの現場で大きな役割を果たされてきました。
皆川:
私は三宅一生のパリコレクションの第1回目から、素材開発担当として参加させていただきました。一番心がけていたことが、今回のテーマである「小さな驚きを与え続けること」なんです。次のコレクションで三宅は何に興味を示すだろうか? どんな心境の変化があるだろうか? 社会の動向は? そんなことを考えながら、毎日、小さいことであっても何かを見つける。私がつくったテキスタイルをきっと使ってもらえるだろう、少しは驚いてもらえるだろう、そう思いながら、毎日の訓練や試行錯誤を繰り返していました。
川上:
皆川さんが三宅さんと出会ったのはどんなきっかけだったのですか?
皆川:
1970年に開催された「東レ ニットエキジビション」の際でした。たまたま私は、このショーに招待されていました。日本人と海外のデザイナーの合同ショーでしたが、一番格好いいデザインをする人だなと思って、バックステージを訪ねたんです。当時私はロンドンに行きたいと思っていたので、誰かお知り合いを紹介していただけませんかとお願いしたところ、テキスタイルのデザインができるならば一緒にやってもらえませんかと言われ、三宅デザイン事務所で仕事を始めることになりました。
川上:
テキスタイルづくりの際、三宅さんとはどのようなやりとりをされていたのでしょう?
皆川:
見たことがない素材が欲しい。それが基本でした。見たことがある素材は既存のものなのだから、驚かないというのが三宅の口癖だったのです。当時ファッション雑誌を見ることは御法度でした。最初の頃は「間」のないテキスタイルは服にならないとよく注意されました。着物では柄を見せることはあるかもしれないけれど、服においては身体の動きと布のバランスによって表情が生まれるのだから、柄が主張するのはよくないと言われたのです。

どのようにテキスタイルが進行してきたのかをお話しします。まず「タトゥ」から始めましょう。1970年に亡くなったジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリンへのオマージュとして、日本の刺青の手法でふたりを柄にしてコットンTシャツにしたいと言われました。三宅に横浜の刺青師の家に連れていってもらい、その仕事を拝見して息を呑んだのを覚えています。途方にくれて、京都の太秦にある東映株式会社の撮影所で「遠山の金さん」の刺青を描いている方に筆遣いを教えてもらって描きました。何十色も使った贅沢な着技プリントです。
次に「刺し子」です。1972年の作品ですが、この前年から海外で販売をすることになり、三宅は欧米のデニムに匹敵するような素材を使いたいと言い、日本各地の伝統素材のリサーチをしてつくったものです。刺し子織りは風通組織で、中心に太い糸を織り込み丈夫ですが、表面はやわらかいのです。男の子のような格好良さがあって、今でも好きな服です。
川上:
日本から世界に発信するという考え方は、当初から三宅さんにあったのですね。
皆川:
その当時、日本独自の生地を開発し、服をつくるという意識を持っていたのはイッセイミヤケだけですから、ぶれていませんね。
川上:
半年毎に新作を発表する服のデザインと、素材開発に時間がかかるテキスタイルの制作はどのように進みますか?
皆川:
テキスタイルは、当然ですが服の前にできていなければなりませんから、いつも次をイメージしていました。驚きを届けたいと、考え続けました。自分の作ったものをこれ、と押しつけるのではなく、三宅だけではなくスタッフも含めて、これだったらデザインしたくなる、興味を示してもらえるように考えたり、話を聞いたりすると、当たり外れが少なくなります。「え、そんなことをやっているの?」と驚いてもらえると、スムーズに進みます。
川上:
驚きはなぜ大切ですか? 吉岡徳仁さんも、第1回目のトークで「一生さんを驚かせたい」とおっしゃっていました。
皆川:
大なり小なり、三宅を驚かせていないと会社に残れないところはあったのですが(笑)、驚きをきっかけに何かを感じ、そのテキスタイルから服ができて、その服を着用する方が喜んでくださると、それが私たちに帰ってきます。三宅だけではなく一緒に働くスタッフ、工場の人たち、お客さまが驚きを共有することで、喜びの循環が生まれると思います。
川上:
本展では、そうして完成された衣服の大きな魅力はもちろん、私たちが普段は気づいていなかった素材や技術、産地の価値を見いだし、創意工夫を重ねていく姿勢の重要性に気づかされます。この先に目を向け、常に考えることの大切さも実感します。改めてお聞きしたいのですが、皆川さんが現在、ご興味をもっていることは何でしょうか。
皆川:
この40年でものづくりの環境は大きく変わりました。機屋さんが少なくなったばかりではなく、紡績工場が減り、染工場も減っています。日本において、手間と時間をかけたものがつくられ、使われる社会であり続けられるように考えながら、ものづくりの活動をしていかなければいけないと思っています。
編集:カワイイファクトリー
写真:吉村昌也
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