MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事

TALK EVENT REPORT

「動きのクリエイション」

宮前義之

宮前義之(ISSEY MIYAKE デザイナー)

金森 穣

金森 穣(演出振付家、舞踊家)

4月9日、「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」の関連イヴェントとして、ISSEY MIYAKEデザイナーの宮前義之と演出振付家で舞踊家の金森穣によるトーク「動きのクリエイション」を開催しました。それぞれが三宅一生との出会いや現在の仕事にいたる経緯について語った後、金森が芸術監督をつとめるNoismを代表する舞踊家・井関佐和子による実演や宮前が開発を進める「3Dスチームストレッチ」の素材を紹介しながら、人間の身体の動きと、そこから生まれるクリエイションについて語り合いました。
宮前:
僕が一生さんに出会ったのは16歳の時でした。テレビでイッセイ ミヤケ1994年春夏コレクションのショーを見たのです。ダンサーが登場し、いきいきと服を着ていて、演出にも服にも、すべてに衝撃を受けました。2001年に入社し、ISSEY MIYAKEのデザイナーに就任して初めてパリコレクションを行なったのが2012年春夏シーズンでした。先月パリで10回目のショーを行ないましたが、そのテーマは「BEYOND」です。この展覧会の開催とスタートする時期と重なったため、一生さんの仕事の膨大なアーカイブを見る機会もあり、もう一度、三宅一生の仕事と歴史に向き合いたいと思いました。その仕事を未来にどうつなげていくかが、僕の仕事のテーマでもあります。
金森:
1992年、スイスのローザンヌにあるモーリス・ベジャールの舞踊学校に入学しました。20世紀、世界にはさまざまな革新者が登場しましたが、衣服における三宅さんと同じように、ベジャールは舞踊における革新者です。17歳で飛び込んで10年間をヨーロッパで過ごしました。
2002年に帰国してからの活動は、想像以上に厳しかった。「ハコ」としての劇場はあるのに、舞踊家や俳優、オーケストラやスタッフなど、プロフェッショナルな人材が劇場で働く環境が日本にはあまりに少ない。新潟市のりゅーとぴあから舞踊部門芸術監督のオファーを頂いた時に「自分が新潟へ移住しますので、日本初の劇場専属の舞踊団を立ち上げましょう」と逆提案しました。そうして2004年にNoismが始まったのです。
宮前:
穣さんはすごい才能をお持ちです。一方的なファンでしたが、『ASU~不可視への献身』の衣裳で、ご一緒する機会をいただきました。今日のテーマは「動きのクリエイション」ですが、穣さんが大切にしていることを話していただけますか。
金森:
Noismを代表する舞踊家である井関佐和子の身体を実際にご覧になりながら聞いてください。Noismという名前の意味は「ノーイズム」です。主義をもたない。それはあらゆる主義を否定するという意味ではなく、20世紀に生み出された主義や技法をもう一度リスタディするということです。西洋で生まれ発展した舞踊の技法や身体文化を、東洋の身体文化と融合させて再構築するのです。
そのためのトレーニングとして、我々は「Noismメソッド」と「Noismバレエ」を開発しています。クラシックバレエは身体を上へ、外へ開いていきます。運動の軸は垂直です。我々のNoismバレエは横へ、下へ身体を伸ばし、拮抗するスパイラルを意識して身体を動かします。形式だけの問題ではなく、西洋と東洋の伝統文化や精神性など、歴史上蓄積されてきた様々な身体知を用いて、現代アジア人としての身体表現を後世に伝えていこうとしています。
宮前:
続いて、僕の仕事を紹介します。ISSEY MIYAKEのフィロソフィーは、身体と布の関係性。現代人はどんな生活をしているのか、どんな動きをしているのかを常に考えています。
デザイナーに就任してから最初の数シーズンは、本当に悩むことが多かった。そのうちに、あらためて一生さんの仕事の核ともいえるプリーツとA-POCに、今の視点から取り組もうと思いました。「3Dスチームストレッチ」という新しい素材を作ったことで、初めて自分の仕事が見えてきたように思います。
「3Dスチームストレッチ」はジャガード織りの素材にストレッチ糸を織り込み、蒸気で縮めて服をつくるオリジナル製法によるものです。これまでのISSEY MIYAKEの直線のプリーツには、幾何学的なイメージがあったと思います。「3Dスチームストレッチ」では曲線もプリーツにできますので、身体に沿う、女性らしさを表現できます。曲線だけではなく、多面体もプリーツにすることが可能となり、Noismの舞台でも使わせていただきました。世の中にないもの、着心地のよいものを作るために、日々スタッフと仕事をしています。
編集:カワイイファクトリー
写真:吉村昌也
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