MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事

TALK EVENT REPORT

「一生さんから学んだこと」

吉岡徳仁

吉岡徳仁(デザイナー)

川上典李子

川上典李子(デザイン・ジャーナリスト)

3月21日、「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」の関連イヴェントとして、デザイナーの吉岡徳仁によるトーク「一生さんから学んだこと」を開催しました。聞き手は、デザイン・ジャーナリストの川上典李子。吉岡は、本展の《グリッド・ボディ》インスタレーションに込めた思いや、最新の《ガラスの茶室 - 光庵》や新国立競技場建築案など、自身の仕事も紹介しながら、「一生さんから学んだこと」について語りました。
川上:
素材への探求心と継続的な研究、そして見る人に驚きを届けるものであること。吉岡徳仁さんのお仕事と三宅一生さんのお仕事には共通項があります。独立される前の吉岡さんが三宅デザイン事務所のスタッフだったことは、ご来場の皆様もご存じのことと思いますが、吉岡さんが三宅さんから何を学んだのかは、これまであまりお話しされていません。今日はそれを伺う、とても貴重な機会です。
吉岡:
僕が一生さんと出会ったのは21歳の時です。三宅デザイン事務所に13年間お世話になり、現在もたくさんのプロジェクトをご一緒させていただいていますから、お仕事をさせていただいて28年ということになります。
川上:
一生さんとの出会いのきっかけは?
吉岡:
倉俣史朗さんが紹介してくださったのです。一生さんは当時、何か新しいことをやりたいということで、ファッションではなく工業デザインを勉強していた僕に期待してくださったのではないかと思います。すぐに腕に針山をつけて、スタートしました。
川上:
ショウのための帽子やバッグ、メガネなどを作られたのですね。
吉岡:
そうです。たとえば帽子というと布地でつくるのが常識ですが、僕はいろいろな工業用素材を使いました。1992年のパリコレクションの際に作った、透明なシリコンでできている帽子は僕自身気に入っている作品です。
川上:
一生さんにはどのようにプレゼンするのですか?
吉岡:
それぞれのスタッフがアイデアを持ってきて、見せるのです。僕は、服が決まって次に着替える瞬間に帽子をぱっと見せたりしました。
川上:
一生さんのリアクションはどんな感じでしょう?
吉岡:
声を出して驚かれる(笑)。採用されない時も、もちろんあります。一生さんを驚かせたくて、頑張っていました。
川上:
「素材は無限。どんな素材でも服にすることが可能」と一生さんは仰っていますね。素材についてお話しされたことはありますか?
吉岡:
具体的に話したことはないんです。でもよく「マテリアル・ボーイ」と呼ばれていました。勉強のためにあらゆる工場に行っていたからです。ものをつくるには、素材を知らなければいけない。文具のバインダーばかりをつくる工場に行ったり、アルミニウムの性質を職人さんに教えてもらったり。工場を見るとプロセスがわかる。それがわかると、別のやりかただったら違うものがつくれるかもしれないとか、可能性が広がるのです。
川上:
1989年から2005年まで、吉岡さんはイッセイミヤケ青山店のウィンドウディスプレイを担当されました。その一つ一つを鮮明に覚えています。毎月変わる、劇場のようであり、後の吉岡さんの展覧会空間構成にもまさに通じると思うのですが、人々と対話するようなウィンドウディスプレイでした。
吉岡:
とても勉強になりました。費用・スケジュールをひとりで管理しながら人を感動させるものをつくるという仕事ですが、一生さんは毎朝この前を通られるので、緊張感がありました。デザインはプロだけにわかるのではなく、誰でもすぐに理解できるものでなければならないということを学びました。
編集:カワイイファクトリー
写真:吉村昌也
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