MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事

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Le MondeApril 8 2016

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Le Monde
2016年4月8日付

三宅一生のプリーツ革命

日本人デザイナー三宅一生の45年にわたる創造活動に敬意を表する東京での展覧会と、それに合わせて出版された書籍。両者が照らし出すのは服飾史への三宅の並外れた貢献だ。

もしも彼が皆に倣っていればその展覧会名は“三宅一生の世界”のようなものになっていたであろう。しかし実際の展覧会名は『三宅一生の仕事』である。“レトロスペクティブ(回顧展)”——あまりに気取っていて、あまりに決定的で、あまりに懐古趣味的な方向性——となることを全面的に拒否する本展が焦点を当てるのは三宅ブランドの成功ではない。そうではなく、ひとりの人物の人生の歩みだ。すなわち本展は、1938年に広島で生まれ、断固として過去を振り返ることなく革新的な服づくりに邁進し続けてきた三宅一生の45年にわたる仕事を概観するものである。
3月15日の展覧会開会式には大勢の招待客が詰め掛け、展覧会場である東京の国立新美術館は大盛況だった。ユニークな展覧会の開会式に集ったのは同じくユニークな人々だった——『HOMME PLISSÉ(オム プリッセ)』の魅惑的なスーツ姿の男性たち、また『PLEATS PLEASE(プリーツ プリーズ)』の服や『BAO BAO(バオ バオ)』のバッグを身につけた女性たち(とりわけ目を引いたのは、展覧会出入口でも販売されている、グラフィックデザイナー田中一光のデザインを背中にあしらったシリーズの装い。ところでBAO BAOの青山店には“お一人様につき同型モデルは3点まで、また同色は2点までの購入とさせていただきます”というアナウンスが連日貼り出されている。なぜなら生産が需要に追いついていないからだ。)会場にはさらに、ロン・アラッド、ジャスパー・モリソン、ハッリ・コスキネン、安藤忠雄、エルンスト・ガンペール、アンドリュー・ボルトン、そして元仏文化相ジャック・ラングの姿もあった。ラングはフランス政府から特命を受けてこの日この場で、三宅にレジオン・ドヌール勲章コマンドゥールを授与した。三宅はいたく感激しているように見えた。この日ここに集った人々はもちろん皆、図録辞典『Musée de la Mode(ミュゼ・ドゥ・ラ・モード/モード美術館)』の最新版(Phaidon社、584頁、29.95€)が「大変影響力があり、川久保玲や山本耀司と共に日本のモード界を代表する人物」と評する三宅一生の全仕事を概観するものとしては初となる大規模展覧会を見に来たのだった。
パリのエコール・ドゥ・ラ・シャンブル・サンディカルで学び、次いでユベール・ド・ジバンシーの元で研鑽を積んだ親仏家のデザイナー三宅は、クリエイター(創造者)という言葉のその本来の意味でのクリエイター(創造者)であり、服飾家であり、発明家であり、構築家である。だからたとえば素材にコットンあるいはポリエステルを選んでも、ただ選んだだけでは飽き足らない。長年の友人であるラングは三宅を次のように評する。「純粋無垢なものをつくる建築家と言うのが相応しいでしょうか。何より、オープンで謙虚な人。悠久の歴史と未来志向が融合したそのとてつもない彼の仕事は意表を突くもので、人々を驚かせ、感動させます。彼の服は彫刻であると同時に運動体と言いましょうか、静と動を併せ持っています」。
さらに言えば、三宅の独創的な仕事は東京・六本木の国立新美術館の建築内においてこそ、その真価が十全に示され得る。黒川紀章によって設計されたこの鉄とガラスの威風堂々たる建築は、波打つ曲線を描くファッサードを有し、内部には高天井の1万4千メートルの広大な空間が広がっている。こうしたことが三宅に、いつの日か展覧会を開催する暁にはこの国立新美術館でという気持ちにさせた。この構築的で、軽やかで、広々とした、空気の通りの良い空間は、三宅のまさに同じく空気の通りの良い服をゆったりと展示するに申し分がない。
展覧会は三部構成で、第一および第二展示室では迫力のある展示手法が採られている。さらに第三展示室にはプリーツマシンが設置されており、PLEATS PLEASEのチュニック一枚が15分で作り上げられるのを見ることができ、見ているうちにいつの間にかうっとりと魅せられてしまう。そして、準備に7年もの歳月を要した本展がこれまでの三宅の業績を讃えるため以上に、もっと奮起し新たな着想を得て前に進むための機会であることを知るのは刺激的だ。注意深く鑑賞するならば本展を通して三宅のものづくりの原動力、すなわち革新への情熱と意欲とエネルギーを見て取ることができるだろう。残念ながら本展を訪れることができない人には、展覧会カタログを兼ねてタッシェンから出版された美しい書籍をおすすめしたい。「三宅にはレトロスペクティブ(回顧展)を行いたいという考えは毛頭ありませんでした。なぜなら彼は振り返るのが大嫌いだからです」と語るのは40年来の三宅の恊働者である三宅デザイン事務所社長の北村みどりだ。「ですから、たとえばあなたが三宅と同じ方向を向いていたら、あなたは彼の背中を見ることになるでしょう。彼は常に前に進んでいますから」。
彼は研究に研究を重ねて、素材やフォルムについての独創的な発想の数々を得てきた——繊維強化プラステイックや日本の伝統的和紙、馬尾毛、ラフィアといった、あまり馴染みのない素材の採用をはじめ、1980年の彫刻的なボディ・シリーズを実現した合成樹脂注入技術の開発、折りたたまれた二次元の幾何学形を三次元の服にまるで楽しい遊びのように変容させることを可能にした数理と折り紙技術による巧みな計算、一着の服いやそれどころか一揃いのワードローブが搭載された一枚の布の創造等々。ひとたびアイディアの種を蒔いたらそれを三宅はゆっくりと発芽させ、それから大きく成長させる。彼は美しさとテクスチャーにこだわったテキスタイルを開発し、布の裁ち屑を最小限まで削減し、望ましい着心地の良さを追求する。

トレンドとは無縁の服づくり
服づくりの際、三宅は目の前にいる人に接するような態度で服に向き合う。そして西洋の伝統的服飾技術にはまったく囚われない。たとえば袖を考えるとき彼は裁断や縫製をするのではなく、腕が間違いなく通るフォルムを考える。それから、そうして出来上がった第一段階のフォルムと対話する——“堅苦しいかな? それともしなやかかな? 構成はいくつかのパーツからにしようか、それとも一枚の布でひと続きにしようか…”と。「Making things, making think(ものづくり、考えづくり)」という言葉を口にするが、彼が提起する服づくりのビジョンはトレンドやシーズンや女性らしさの古典的な諸基準とは無縁だ。なぜなら彼は身体を、曲線やサイズとしてではなく、基本的な(動きの)自由を必要とするものとして捉えるからだ。
彼の服づくりは因ってサイズ規定とも無縁だ。たとえば36(*日本のSサイズに相当)の服などありえない。巧みに裁断された一枚の布がそれを着る人の体型に応じてシェイプやシルエットをつくりだす。つまり服よりも人を重視した服づくりである。たとえしばしば見受けられる鮮やかで陽気な目を引く服であっても、着る人のことがきちんと考えられている。
三宅が長年さまざまな研究を積み重ねてきたのもそれはひとえに、ある究極の目標実現のためだった。その目標とはすなわち、ジーンズとTシャツに匹敵する普遍的な服を創造すること。 “アメリカ人の日常の装いは世界に認められた。では我々日本人は何を提案できるだろうか? 実際のところ日本のカジュアルウエアとは何だろうか?” そう自問し続けてきた三宅は1990年代初頭に独自のプリーツ開発にこぎつけ、目標実現のためのひとつの解決策を得る。彼はその独自のプリーツ技術を駆使することにより、斬新であると同時に耐久性があって実用的な——しわにならず、簡単に洗えてアイロン不要——すなわち美と実益を兼ね備えたなひとつの新しい服のジャンルを切り開いた。ちなみにHOMME PLISSÉ(オム プリッセ)のスーツジャケット一着の価格は日本では320ユーロ程度(フランスでは倍の価格)。色は黒とマリンブルーがあるので、オフィスにも友人の結婚式へもドレスコードをまったく心配せずに着て行ける。クリーニングに出す必要もない。これは驚くべき経験だ。この服の創始者はもうとっくに遥か先に行ってしまっているが、それでもこの我々の驚きの経験を喜んでくれるに違いない。

文:Caroline Rousseau(カロリーヌ・ルソー)